女神の集い~参加者対談~ 「初めて、深く泣いた」たねべようこさんVol.1

昨年の女神の集いに参加した、
参加者2人の対談をお届けします!

聞き手は昨年のワークに参加し「女神の集い」に惚れ込み、
11月11日&12日に開催される東京のワークショップのスタッフで参加する、ふくちまほこ。
話を伺った相手は、関西で「教える人のコミュニケーションアドバイザー」などを行う、たねべようこさんです。

ふくちまほこ(以下、ふ):
今回は、体験談のインタビューを快くお引き受けいただいてありがとうございます。
私は今年、スタッフとして入ったんだけど、どういう風に皆さんにこの女神のことを伝えていくかという話で直接生のお声をうかがって、それを文章に起こすチャレンジをやってみようかということになりました。ではよろしくお願いします。

最初に「女神の集い」(以下、「女神」と省略)に参加したきっかけは?

たねべようこ(以下、た):
もともとTarikaのブログを追っていたの。
当時まだ、女神ワークをやる前で、無極功のワークなどをやっていて、興味を持っていた。
その頃九州で行われた「女神」のオーガナイザーが友人だったので、その流れで、広島の「女神」に参加したんだ。当時もいろいろもがいていて、手当たり次第にいろいろなワークに出ていた中で、「出会った」感じ。

ふ:最初、出てみた時の感じは覚えている?

た:覚えてる。あれが、すごく私の中の「きっかけ」だった。
あの頃、関東から引っ越して、手痛い失恋をして、そこが自分の中の痛みだった。
自分が「女性としての自分を見る」ということを、改めてさせられていた時だったの。

Tarikaのワークに突っ込んで行って、あの時初めて、深く泣いたのね。
自分の体を触って、自分の底から、涙を流して泣いた。
女性として見なかった自分に対して、すごく申し訳ない感じがしたの。
それが、自分の中で、深く感動したというか、変わっていくポイントになった。
その後、他のワークも含めて、自分を深く見ていくことになったんだけど、きっかけになったのは、やっぱり「女神のワーク」でした。

しばらく離れていて、自分の道をやっていたんだけど、去年、神戸でやると聞いて、行きたいなと思って。
広島のPart3青いシャクティでできなかったことを、体験したいと思って参加したんだ。

ふ:毎回ワークは違う体験になると思うけど、今回の神戸はどういう位置づけ・体験だった?

た:参加動機は、行きたい気持ちと誘われたタイミングが重なったから。無理してでも行こうと思った。
広島は、「男性に愛されたい自分」を持って行ったんだけど、今回は全然違うところに突入していて、「仕事辞めてお金がない、その中の自分って何があるんだろう?」ということを見たくて入っていったの。女性という性の中から、自分が何をつかむんだろう?って。

終わって、山を下りてきてから、いろいろ大きな揺さぶりがかかってきた(笑)。
ワーク中は自分の中に一心にもぐりこんだ感じで、それは充実した体験だったけど。

ふ:ワークをやっている最中に起きるというよりも、もっと大きい、全体のプロセスの中で変化が起きてくるよね。私もそうだったけど、終わった後の方が大きいよね。

た:大きい!
あそこで、身体をふるいにかけて、下山するとふるいにかけたもののアクがわ~っと上がってくる感じ。そのあとのアク出しは、結構な量出した感じだった。

ふ:そこは「自分でやれ」ってことね(笑)

た:そうそう。
女神のワークが何がいいかって、「自分で取りに行くしかない」じゃない?
場は用意されているけど、気付く体験を「自分が取りに行くしかないワーク」だから、好きなの。

ふ:それ、そこ!
本当に自分でやるしかない、っていうところね。確かに。

た:何もわからず入ってしまった方がいいかもしれなくて・・感じざるを得ないから。
でも、ポコンと入ってしまったら、感じざるを得なくなって、すっごい固い殻をガンガン叩き割られる感じだった。

ふ:受け身なの(笑)?
まあ、最初はそうだよね。何が起こってるかわからないっていう感じになるよね。

た:私は、固い甲羅を身にまとっていたから。
内側の意志は、その殻を破りたいと思っているんだけど、内側から破る方法がないのよ。わかんないし。
だから、ちょっと荒療治だけど、自分で突っ込んでわざわざ入っていって、ワーク全体で叩き割られていくと、自分の一番繊細なところを触らざるを得なくなって号泣・・みたいな感じだった。

ふ:その一番繊細なところを触るのが、みんなあまりにも怖いから、すごく躊躇したり、手前で抵抗が起きて行けなくなってしまったり・・・準備ができていないと、参加しづらいのかもしれないよね。

でもそれこそ、ここでしかできないというか、これを待っていた人にとっては、おーきたー!という感じはあると思う。
私もそうだったな。ずっと意識について取り組んできたけど、最後は身体をやるしかないというところに追い込まれたの。

実は私、最初受けた時(2016年東京Part1~3)、何をやるワークか知らなかったのよ。
女性性のワークって他にもいっぱいあるでしょう?
どっちかというとちょっと華やかなイメージがあったのね。
「女性である自分を楽しみましょう」というような・・私は、あまりそこに興味がなかったの。

「女神」は、「人間としての女性という種族」みたいな感じ。
でも、そこに入っていくワークなんだということを、シャクティ(Part3)が終わっても気付いてなくて、それで、東京のPart3が終わった後、神戸にも行って・・・いまだによくわからないんだけど・・(笑)

結局、そこを通ると、自分を完全に受容するというかな。表現の手前の話というか。。
まず、私は女性ですということを認めろよ、という根底のところをやったような気がする。
女性として、キレイなところを見せるのは、その次の話なのかな、と。

本当に繊細なところを自分で触る、それをみんなが怖いっていうのもわかるし、
その怖さを超えてこい、というところをどう肯定的に伝えられるのか、っていうのは考えるよね。

た:そうだよね。
今思い出したのは、広島も神戸も、自分は一貫して「本当の自分とつながりたい」という意図があった気がする。

ふ:殻があるから触れない、そこをまずぶっ壊してつながりたい、っていうことね。

た:みんな、自分に殻があるってことすら気が付かなかったりするんだよね。私もそうだったけど。
明らかに、人とコミュニケーション取れないとか、おかしな現象がでてきてるのに。

ふ:それでも、なんとかごまかそうとするんだけど(笑)、気持ち悪いよね。

た:本当の自分とつながったら、どうなるんだろう、っていう好奇心もあった。
広島の時は、「女性として愛されたい」のをひた隠しにして、それで生きていくのはもうきつくなっていて・・・
それだけ自分も切迫していたな。

~Vol.2に続く~